料理にまつわるエピソード(その4)
(※とある女性の手記です)
まずい。思わず自分でそうつぶやいた。
私が、初めて料理を作り、それを自ら食べた時のことである。それまでインスタントラーメンくらいしか作ったことのなかった私が、料理ぐらい覚えないと嫁にも行けないという親の言葉を真に受けて、意を決して挑戦したという、今から10年以上も前の話である。
メニューは、肉じゃが。初めての料理にしては随分と敷居が高いというのは、この話をした皆に言われることではあるが、私の中では、料理と言えば肉じゃが、料理が上手いというのは美味しい肉じゃがを作ることに等しいのである。
それからは、試行錯誤の毎日。毎晩、母親からマンツーマンで指導を受けた。お蔭で、それなりの肉じゃがは作れるようになった。それでも私はまだ試行錯誤を続けた。材料も分量も何もかも母親に言われた通りにやっているはずが、どうやっても母親の作ってくれる肉じゃがの味にならなかったのである。美味しくない訳ではないが、母親の味ではないのである。私の中では、肉じゃがと言えば母親の肉じゃがなので、同じ味にならないことには何とも気が済まない。そのもやもやはしばらく続いた。
そんなある日、母親にこう言われて気が付いた。「料理なんて結局、作るほうは開き直るしかないのよ。シチュエーションによって味が変わってしまうものなんだから。バーベキューが美味しいなんていうのはそれの最たるもの。外で食べるから美味しいのであって、あんな大雑把なもの、家の中の食卓でこじんまり食べてみなさいよ。大して美味しくないかもしれないわよ。あとは、その時の気分だって影響する。気分が落ちている時は、何を食べてもおいしくなかったりするでしょ。」
開き直り。これしかない。元来、楽観的な私にとって、開き直りは得意中の得意と言っても過言ではない。私はその日、あえて母親を居間に残し、一人で台所に立った。いつもなら細かく口を出してくれる母親を気にしなくて済むよう、言ってみれば、開き直って自由にやってみたかったのだ。
出来上がった肉じゃがは、見事に母親の味を再現していた。いや、母親の台詞の通り、料理の味なんて気分が影響するもの、その時は単に、思い込みと希望的観測からそう感じただけなのかもしれない。それでもやはり、自分で作った肉じゃがから母親の味を感じられたあの時の、体を突き抜けるような衝撃は、今でも鮮烈な印象として記憶に残っている。
そんなこんなでそれなりに料理もマスターし、今は無事に結婚している私だが、感謝の念を忘れたことはない。それはもちろん、根気よく教えてくれた母親に。そして、私のせいで毎日晩御飯が肉じゃがになってしまっても、文句一つ言わないで食べ続けてくれた、父親と弟に。