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料理にまつわるエピソード

(※とある女性の手記です)

 

母が死んだ。

 

父はその後、見るに堪えないほど落ち込んでいた。仕事には行っていたが、家ではほとんど何もしなかった。そんな父に、私は日々苛立ちを募らせていた。

 

そんな状態で数ヶ月経ったある日、朝起きると、いつもは私よりも起床の遅い父が、台所に立っていた。なんでも、今日から私の弁当を作ってくれるとのことだった。母が死んで以来、私は昼食を学食や購買部で済ませており、それで特に問題もなかったので、余計なことしないでよ・・・という気持ちだった。これまでの苛立ちからくる反発で、そんな弁当なんか食べてやるもんか、といった気持ちも強くあった。そんなこと口には出さなかったが。

 

その日の昼食時、私は弁当をゴミ箱に捨てた。中身が何であるかすら、ほとんど見ることもなく。

 

それからも毎日、父は弁当を作ってくれた。私も毎日、食べずに捨てることを繰り返した。父は私が毎日完食していると思っているので、より弁当作りに張り切るようになっていたが、それすら、私には苛立ちの原因でしかなかった。今考えると、母が死に、私の精神状態も尋常ではなかったのだと思う。本当にひどいことをしていたものだ。

 

半月ほどそんな状態が続いたある日、いつもは自分の席で黙々と昼食を取る友達が、弁当を一緒に食べようと、椅子を持って私の横に移動してきた。つまり私は、いつものように弁当をこっそり捨てるタイミングを逸してしまったのだ。

 

仕方なく私は持ってきた弁当を開けた。

 

父の作ってくれた弁当を、まじまじと見るのはほぼ初めてだった。お世辞にも綺麗で優れた弁当とは言えないが、思ったよりもよく出来ていた、というのが正直な感想だった。そして、友達の手前もあって、私は何事もないかのようにおかずを口に入れた。

 

・・・すごく、すごく美味しかった。

 

私は涙をこらえるのに必死だった。弁当ひとつ、料理ひとつで、ここまで人の心を感じたことがあっただろうか。父の私に対する想い、愛情、母を亡くした隙間を埋めようとしてくれる優しさ、それらすべてを感じながら食べた。本当に美味しかった。思えば、弁当を作ってくれると聞いた時から、父のそんな愛情や優しさは分かっていたのだ。照れや反発もあって、向き合おうとしなかっただけなのだ。

 

横で、友達が微笑んでいる。

 

知っていたのだ。その友達は、私が、毎日弁当を捨てているのを、こっそり見ていたのだ。それを案じて、わざわざ声をかけてくれたのだ。一緒に食べようなどと言い出したのだ。

 

もう、我慢が出来なかった。私は号泣した。人目もはばからず、大声をあげて泣いた。父の愛情、友達の思いやり、周りの優しさ、そういったことに自分はどこまで甘えていたのだろう。本当に恥ずかしかった。

 

今では、私も社会人になり、多少なりとも大人になれたとは思う。当時とは逆に、父の弁当を私が作るようにもなった。あの頃、父がしてくれたように、精一杯の想いや愛情を、毎日料理に込めながら。

 

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